弊会のプロフィール

   今から20年前の1997年3月8~9日 和歌山県紀美野町(旧美里町)で、和歌山県青少年課主催の青年交流セミナーが開催された時、

  そこに参加した和歌山県内の青年団活動を行う青年達に「和歌山県をテーマにしたイベントを企画・立案から予算・運営まで考える」

  という課題が与えられ、1つのグループが「熊野古道を世界遺産に登録しよう」というテーマで意見を出し活発に交流しあいました。

そのセミナーの後、そのグループのメンバーの一人が、1991年に起こった湾岸戦争の時に滞在していた中国・北京市内で体験し痛感した平和への思いから独自で『熊野古道』や『世界遺産』について調べました。

 1997年4月に文化庁へ電話をかけ世界遺産登録のプロセスを教わった事は、活動を進める大きな一歩につながりました。

 その結果、熊野古道の【何でも受け入れる懐の深さ、何ものも排除しないところ】と世界遺産の【柔軟性・寛容の精神】がぴったり合うのではないか、そして、「地元の熊野古道を世界遺産に登録する活動」を展開していくことは、『平和文化を創造する活動』につながっていくのではないかと考えました。

  また、この「熊野古道一帯」の自然や文化・歴史は、現代人の「心の癒し」となるだけでなく、自然環境保護を理解し、私達が故郷を大切にし、誇りに思う心を育み、またそれを後世に伝えていく為に大きな役割を果たすものであり、『熊野古道』に和歌山県内外の、また多くの世界中の人が集まるようになれば、都市と農村との地域間交流もでき、語り合えば世代間交流にもつながり、和歌山県が元気になるきっかけになるのではないかと考えました。

もちろん、世界レベルで「熊野古道」を保護する為にも『ユネスコの世界遺産登録』は必要です。

そして、1997年8月2日に『「熊野古道」を世界遺産に登録するプロジェクト準備会』という任意団体を発足させ、この活動を進めていく事にしました。

それから、私たちは熊野古道の世界遺産登録達成まで、下記の4つのステップで具体的な行動を始めました。

  Step1「きっかけづくり」   1997年 3月~1999年 3月

  Step2「申請推進運動」   1999年 4月~2000年 3月

  Step3「申請実行運動」   2000年 4月~2001年 3月

  Step4「登録実行運動」   2001年 4月~2004年 7月

 なかでも、FAXでお誘いした当時の西口和歌山県知事が、1998年2月22日開催した弊会の第5回定例会に参加され一緒に熊野古道を歩いた事は、多くの方の「熊野古道を世界遺産にしよう」という私たち活動を知っていただける出来事です。 

 そして、2004年7月7日熊野古道の一部は、「紀伊山地の霊場と参詣道」として世界文化遺産に登録されました。                

 それから5年後の2009年9月12日に開催された『和歌山県職員労働組合60周年記念および「紀伊山地の霊場と参詣道」世界遺産登録5周年記念事業「地域活性化と環境保全を考えるフォーラム』で当時の仁坂和歌山県知事に追加登録の提案をした事も忘れられない出来事です。


本当に多くの方々との出会いと理解とご協力の結果、熊野古道の一部は、「紀伊山地の霊場と参詣道」として世界遺産に登録されています。

 私たちは、現在も毎月1回熊野古道を歩いています。また、さまざまな活動やイベントも開催して「熊野古道」を保護する活動を通じて参加する様々な人達が一体となって、故郷を大切にし誇りに思う心を育み次世代に伝えようと呼びかけています。

 さて、先般某新聞社の方から伺ったお話ですが、日本の世界遺産は現在25件登録(文化遺産が20件、自然遺産が5件)登録されていますが、日本の世界遺産登録は、その登録の内容から3つの時期に分けられるそうです。

第1期は、文化庁が中心となって登録申請を進めた1993~2000年、第2期は2004~2011年、第3期は文化庁が「暫定遺産リストの候補地募集(2006、2007年)」の後に登録された2013年以降です。「紀伊山地の霊場と参詣道」は第2期に含まれ、第2期が成功したことにより第3期が始まったそうです。        

この重要な第2期に私たちが、熊野古道の世界遺産登録活動に携われることができたことを幸せに感じています。


ご挨拶

 今から25年前、平成8年度の和歌山県青少年課主催の青年交流セミナーが、和歌山県紀美野町(旧美里町)で1997年3月8~9日開催され、そこに参加した青年達に「和歌山県をテーマにしたイベントを企画・立案から予算・運営まで考える」という課題が与えられ、その中の1グループ(7名)が「熊野古道を世界遺産に登録しよう」というテーマで意見を出し、活発に交流しあいました。

そのセミナーの後、「熊野古道」や「世界遺産」を調べていくうちに、熊野古道の【何でも受け入れる懐の深さ、何ものも排除しないところ】と世界遺産の【柔軟性・寛容の精神】がぴったり合うのではないか、「平和文化を創造する活動」につながっていくのではないかと考えました。

 そして、この「熊野古道一帯」の自然や文化・歴史は、現代人の「心の癒し」となるだけでなく、自然環境保護を理解し、私達が故郷を大切にし、誇りに思う心を育み、またそれを後世に伝えていくために大きな役割を果たすものであり、『熊野古道』に和歌山県内外の、また多くの世界中の人が集まるようになれば、都市と農村との地域間交流もでき、語り合えば世代間交流にもつながり、和歌山県が元気になるきっかけになるのではないでしょうか。もちろん、世界レベルで「熊野古道」を保護する為にも『ユネスコの世界遺産登録』が良いのではないかと考え、1997年8月2日からこの活動を進めていくこととなりました。

 そして、活動を始めてから7年目の2004年7月1日に熊野古道の一部が「紀伊山地の霊場と参詣道」としてユネスコの世界文化遺産に登録されました。「絵に描いた餅が焼けた。」のです。

 それから、12年後の2016年10月25日に追加登録されたことにより登録遺産の「完全性」、「真実性」が更に高まり、複数の参詣道によるネットワークの重要性が認められたのです。

地元の方はもちろん、多くの周りの方々の理解と協力のもとに実現できました。ありがとうございました。

しかしながら、京都城南宮から始まる熊野古道の全域が世界遺産登録されているわけではありません。

そして、この道は脆く、台風などの自然災害で容易く壊れてしまうことがあり、歩いたり、道普請をして大切にしていかなければなりません。また、何らかの原因で保全状態が悪くなり、登録物件から「顕著な普遍的価値」が失われた場合には、その物件は世界遺産リストから抹消される規定があります。

有史以前から続くこの道を50年100年1000年先に残していくために、この道を歩き活用しながら保全し、次の世代に引継いで行かなくてはなりません。この素晴らしさをもっともっと発信していくために、ユネスコの他の事業(エコパーク、ジオパーク)と連帯していくことも重要ではないでしょうか。

そして、世界遺産は「異文化を理解する教材」の一つです。この教材から考え学ぶことは、無知と偏見を無くしていく重要な機会にもなります。

 1945年11月16日に採択されたユネスコ憲章前文に書かれた「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない」は周知のことですが、それを成すためには一人一人の行動が大切になります。そして、そのための行動とは、ユネスコ憲章前文の後半にある「よって平和は、失われないためには、人類の知的及び精神的連帯の上に築かなければならない」ということです。 

いま世界では私たちが予測できなかった事件(コロナウィルス蔓延、自然災害、ロシアのウクライナ侵攻)が起き、いつ自分の身の回りで何が起こるかわからない不安な日々を送っています。

25年前青年達が「熊野古道を世界遺産に!」と呼びかけた時に関心を持ってくださったように、世界で起こっている事にも関心を持ち、一人一人が一歩踏み出し、「普通の人」が日常生活の延長として平和活動の一翼を担い、問題解決に関わっていってもらいたいと願います。

まさに世界の人々が願う平和への思いを、「信仰の山」である「紀伊山地の霊場と参詣道」の和歌山から、この平和を願う人類の知的及び精神的連帯を拡げる行動として私たちは歩き、初心を忘れないために名前を替えず、平和文化を創造する活動を続けて参ります。 

           「熊野古道」を世界遺産に登録するプロジェクト準備会

 運営員代表 小野田真弓

2023年2月25日 


2017年12月24日 2017年12月24日 記念講演会 

2017年12月24日座談会の模様

20周年記念フォ-ラム開催

1997年(平成9年)からの活動一覧

Step1「きっかけづくり」   1997年 3月~1999年 3月

Step2「申請推進運動」   1999年 4月~2000年 3月

Step3「申請実行運動」   2000年 4月~2001年 3月

Step4「登録実行運動」   2001年 4月~2004年 7月

2004年7月1日に熊野古道の一部が「紀伊山地の霊場と参詣道」としてユネスコの世界文化遺産に登録されました。

2009年9月12日に開催された『和歌山県職員労働組合60周年記念および「紀伊山地の霊場と参詣道」世界遺産登録5周年記念事業「地域活性化と環境保全を考えるフォーラム』で当時の仁坂和歌山県知事に追加登録の提案しました

2016年(平成28年)10月25日に追加登録されたことにより登録遺産の「完全性」、「真実性」が更に高まり、複数の参詣道によるネットワークの重要性が認められたのです。